『K−なび』

さむらい花火
作・演出:(都合により削除)
出演:(都合により削除)
於:江古田ストアハウス
観劇日時:2006/03/03 19:00


携帯のメールでは饒舌だが、面と向かうとうまくコミュニケーションが取れない青年、ハジメ
そんな彼に、ある男が見慣れぬ携帯を手渡す。
不審に思いながらもその携帯を起動したハジメの前に、一人の少女が出現する。
(2006/12/30追記:都合により一部削除)
コロンと名乗ったその少女は、自らを携帯電話に組み込まれた人格をもったプログラム“ケイタイザー”だと告げる。
ケイタイザーは持ち主の脳神経に直接影響を及ぼし、姿が見えるだけではなく、実際に触れ、痛みを与えることもできる。
そして今、同じ能力を持ち人間に害を及ぼす携帯ウィルスが開発され、徐々に感染を拡大しようとしている。
ケイタイザーとその持ち主=マスターの使命は、その携帯ウィルスを駆除し、その脅威から人類を救うことにあるのだと。
そして、時同じくして別の場所。
コロンとは別のケイタイザー、スラッシュとそのマスターセンドウは、人知れず携帯ウィルスとの戦いに明け暮れていた。
絶え間ないウィルスの襲撃に晒されつつも、彼らはウィルス大量発生の黒幕へと一歩一歩近づいていた。
だが、彼らすら知らないところで、新しい能力を持った携帯ウィルス=電磁波生命体が発生しようとしていた……


過去のトラウマに囚われ、心を閉ざす若者。
偶然か運命か、突然与えられる力。
作られた存在のはずのプログラムに振り回されつつ、少しずつ心を開いていく主人公。
そして迫り来る敵に対し、二人で力を合わせて立ち向かう。
(2006/12/30追記:都合により一部削除) 
なんというか、一言でいうとライトノベル風の芝居。良くも悪くも……。
 
ああ、これをやりたいんだろうなぁ、てのは伝わってきた。
うまくやればそれなりに面白い芝居になったと思う。
が、いかんせん足りない部分が多すぎた。
 
突っ込みどころを挙げていけばきりがないのだが。
脚本や演技、殺陣、ギャグの寒さや滑舌・発声については、一言「もっと頑張って」とだけ。
 
むしろそれ以前に突っ込みたい点が。
 
まず、客席のまん前の床に置かれた、オープニング映像を流すためのプロジェクタとパソコン。
まぁ、プロジェクタに関しては劇場の構造上仕方ないとしても。
パソコンはケーブルを延ばすなりして袖中や、せめて客席に画面が向いてないところで操作できなかったものか。
せっかくオープニングの映像を見たいのに、目の前をパソコン操作のためうろうろされては集中力が削がれる。
んで、暗転中の明かり漏れ。
暗転のはずなのに、客席背後の調光室から明かりが漏れている。
いや、あれは漏れてたんじゃなくて、光が差してたんだな。なにしろ客の頭の影が舞台に伸びてたし。
もちろん、役者の出ハケも丸見え。何のための暗転なのか。
さらに、袖中からのノイズ。
裏通りがどういう状態なのか分からないけど、足音立てるわ小道具床に落っことすわ、ゴトゴト五月蝿い……。
せっかくしっとりした良いシーンのはずなのに、その騒音のおかげで台無しです。
おまけ、舞台下手側の壁に無造作に立てかけてあった脚立。
あまりにも堂々と置いてあったので、てっきり舞台装置の一環なのかと思いきや、ほんとにただ置いてあるだけだった。
せめて幕をかけるなりして客の目に触れないようにするべきではないかと。
 
総じて言えるのは「客を楽しませる」ということについてもっと考えてほしいということ。
もちろん面白い脚本もすばらしい演技もメリハリのある殺陣も重要。
でもその前に、肝心の舞台に集中できる環境を作ってほしい。
客は足代払ってチケット代払って時間割いて観に来てるんだから。
せめて気持ちよく観られるような用意をしてお迎えするのが、サービス業としての最低限の礼儀だと思うのだが。